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もしも願い一つだけ叶うなら、君の側で眠らせて。どんな場所でもいいよ。written by Hikki...

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あけおめ☆

あけおめは何の略かしってますか??

ありがたいけどお前はめじゃねぇ!
の略です。
しらなかったでしょう?

はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは
笑いが止まらない!
(笑)

ちなみに大会は全敗!



ちなみにカメラ買いました。
デジタル一眼ネ
Eー420だよ
そんなことどうでもいいって?
そんなあなたに言いたい。
ごめん
そして羽ばたけ
そして燃えろ。
燃え散って灰になって飛んでいって見えなくなって、ついには顕微鏡でさえ捉えることのできない(!?)・・・  どんどん意味がわからなくなってくるのでやめましょう

なせばなる!ってことですよ



ペプシコーラ
コカコーラ
亀のコーラ
先生が言った『コーラ!こら!!』


ふとんが吹っ飛ぶとこ、見たことある人いるのかなぁ
いたら教えてネ
君もいつかは吹っ飛ぶと思うけど

俺は明日にでも飛んでいきそう。
どこに?って それは秘密。
だって俺が三億円事件の犯人だから ←??

『にしおかすみこだよ』
で?
『残念』
消えちゃったね
『欧米か?』
あんたは消えないと思う
尾も白いもん面白いもん

おれも何かつくろうかなぁ
『南米か?』
ってね 笑”


あひるんるん

今ココア飲んでる。
でも君はこの記事の意味を飲めてないと思う
だって自分で見てても意味わかんないんだもん

人間だもの  みつを

みんな違ってみんないい みすず  ←字が違うけど気にしないでね



こんなこといってるから自分の間違えを認めない奴が出てくるんだよ・・
たとえば、目玉焼きには醤油ってshira法で決まってるのに、それを破って『やっぱ塩じゃね?』とか『目玉焼きにはソースウィッシュ☆』とかいってる
 ↑はい?

意味わからん

そんな意味わからないこの記事を見てくれた方、ありがとうございます

ちなみに三億円事件とは・・
事件の経緯
1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届く。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警官約50名が指定の場所に張り込んだが、犯人は現れなかった。

4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。

そこへ警官に変装して擬装白バイ[1]に乗った犯人が、バイクを隠していたと思われるカバーを引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。

4日前に支店長宛ての脅迫状が送り付けられてこともあり、その雰囲気に行員たちは呑まれてしまっていた。犯人は、輸送車の車体に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時銀行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、バイクに詳しい銀行員が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件が早くも判明した。

この出来事の目撃者には銀行員の他府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員、通行人の主婦などがいた。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。

直ちに緊急配備が敷かれ、要所要所で検問が実施されたところ、杉並区内の検問所で“銀色のトランクを積んだ灰色ライトバン”を捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる[2]。

被害金額約3億円(2億9430万7500円)は現金強奪事件としては当時の最高金額であった[3]。当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約80億円にあたる(計算方法によっては30億円とする意見もある)。捜査には9億円が投じられた。

1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。


[編集] 多摩農協脅迫事件
三億円事件が起こる前、1968年4月25日から1968年8月22日まで多摩農協へ現金要求や放火予告や爆弾予告をする脅迫が脅迫状・脅迫電話・壁新聞投げ込みで計9回発生。この事件は脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が12月6日に送られた日本信託銀行への脅迫状の筆跡と同一とされたことから多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件と三億円強奪事件の三事件が結び付けられた。


[編集] 捜査の推移

[編集] 現場
第一現場(府中市栄町 府中刑務所裏)
三億円強奪事件が起きた路上。遺留品には偽白バイが残った。
第二現場(国分寺市西元町 武蔵国分寺跡のクヌギ林)
現金輸送車のセドリックが乗り捨てられていた場所。遺留品にはセドリックが残った。
第三現場(府中市栄町 明星学苑高校近くの空地)
犯行前に偽白バイをカバーに覆って停めていた場所。
第四現場(小金井市本町 団地駐車場)
第二現場で乗り換えたカローラが、乗り捨てられていた場所。事件から4ヶ月後に判明。遺留品にはカローラが残った。

[編集] 遺留品の分析
犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙について当初は楽観ムードであった。ところが、犯行に使用された偽白バイや車は盗難されたものであったことや、遺留品はどれも一般に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の弊害に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品は以下の通り。

脅迫状
銀行に送りつけられていた脅迫状の切手に唾液があり、唾液からB型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りで文字を作っていたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。
ハンチング帽
第1現場で偽白バイが事件現場まで引きずっていったボディカバーの中から発見されたことから、犯人のものと考えられている。汗を検出すれば、少なくとも実行犯の血液型を判明できたが、楽観ムードによるものからか、鑑定に出す前に刑事同士で交互に被ることで鑑定不能にするミスを犯していた。ハンチング帽は54個が出庫され、36個は所在が判明。残り18個は立川市の帽子小売店が市内の安値市で販売していたが、誰に売ったかまでは判明できなかった。
メガホン
第1現場の遺留品の一つであるメガホン(拡声器。偽白バイに広報用スピーカに見せかけるため取付けられていた)は、製造番号から5台が出回っていることが分かり、4台まで所在を確かめた。残る1台は東村山市の工事現場で盗難に遭っており、この最後の1台が犯行に使用された物と思われる。
新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日の産経新聞朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市の大王製紙の工場で作られた物と判明。インクの具合、印刷状況から輪転機を特定し、その新聞が配達されたのが三多摩地区であることまで絞り込めた。
配部数は13,485部、販売所数は12ヶ所。住民の転出入が激しかったことや、新聞を購読する家が頻繁に変わっていたことから捜査は難航し、2年掛かりでやっと販売所を特定できたが、時すでに遅く配達先の住所録は処分された後であり、この方面での捜査は徒労に終わった。
レインコート
第3現場に残されていた濃紺のレインコート。レインコートの制作したマルス社は1958年時点で倒産しており、レインコートは10年以上前に製造されたものであった。このレインコートにはソデ裏にアイロンがかけられた後があり、また内エリに「クリーニング」のタグの後を示す白い糸があった。しかし、この遺留品は様々な情報が錯綜し、当初は粗末に扱われており重要な遺留品を認定されたのは事件から3年後のことであったため、これ以上の発見はなかった。
ケースの泥
ジュラルミンケースに付着していた泥を精密検査した結果、現場から4km離れた国分寺市恋ヶ窪の雑木林の土壌と酷似していた。この為この付近にアジトがあると見て、徹底的に捜索したが成果は出なかった。
カローラ
犯行には2台が使用され、「第1カローラ」と呼ばれる緑色のもの(多摩5め3863)は第3現場で発見された。「第2カローラ」は現金を奪った犯人が、現金輸送車から乗り換えた濃紺の通称「多摩五郎」(多摩5ろ3519)で、事件から4ヵ月後、小金井市の団地駐車場で発見された。残された車の中には、空のジュラルミンケースが入っていたことから、犯行に使われたことが特定された。なお、このカローラは自衛隊の航空写真より事件直後から団地駐車場に存在したことが判明している。

[編集] 脅迫状
多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用。
語句と語句の間を分ける「分かち書き」の使用。
強調点に「●―●―●」という記号の使用。
「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述。
「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用。
職員の車のナンバーを特定している記述。

[編集] モンタージュ写真による捜査
12月21日にモンタージュ写真が公表された。しかし、これは目撃者の証言によるものではなく、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述の立川グループの少年S)に似ているとして、事件発生1年前に死亡した人物の写真を遺族に無断で用いたものだった。容疑者リストに載ったのは実に11万人、捜査した警官延べ17万人という空前の捜査だったが結局、犯人を検挙できずに事件は時効を迎えた。

本来“このような顔”であるべきモンタージュ写真を“犯人の本当の顔”と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。結局、このモンタージュ写真は1974年に正式に破棄されている。しかしその後も各種書籍物でこのモンタージュ写真が使用されている。


[編集] ローラー作戦
事件現場となった三多摩地区には当時学生が多く住んでいたことから、一帯にアパートローラー(全室への無差別聞き込み)を掛けた。この捜査手法については、当時先鋭化しつつあった学生運動を壊滅させる為の警視庁公安部による謀略だったとする陰謀説があり、1970年6月26日、学生運動に対する政府の勝利宣言と同時に事件の捜査陣が大幅に縮小された事がその傍証だとする見解もある。北芝健は、たとえ犯人が判明していたとしても捜査を引き伸ばした方が学生運動・暴走族・暴力団の情報が得られるので警察には利益になると話している[1][4]。

警察において被疑者とされた者の数は十数万人に及んだ。事件現場前にある都立府中高校に在籍した高田純次や布施明の名前もあった。もっとも、二人とも事件とは無関係であることが後に判明した。


[編集] その他の捜査
通常の事件と同様に遺留品などから検出された指紋の照合も行われていた。しかし、上記の通り遺留品はどれも大量生産されていたものだった影響から照合する指紋の量が多すぎたことや、それを照合する捜査員がわずか3人と少数だったため大した効果は得られなかった[5]。

警察は事件当時に盗まれた3億円のうち番号がわかっていた500円札2000枚分(100万円分)のナンバーを公表した。この番号の札は1枚も出回ることはなかったが、犯人が強奪した現金を使えなくすることによって犯人の利益が一部無くすことができたとする一方、犯人が紙幣使用を控えたとされて犯人の検挙を一層困難にした。


[編集] 本事件による被害とその影響
盗まれた3億円は、日本の保険会社が支払った保険金により補填された。その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社による)によって損害の補填をうけてたために、日本企業の損失はなかった。そのため、事件の翌日には社員にボーナスが支給された。このように史上例を見ない金額の事件だったにも関わらず、実質的に国内で損をした者は1人もいないとされている(ただし、マスコミの報道によって大きな被害を受けた人物(後述の運転手K)は存在する)。このことと、犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、“憎しみのない強盗”のあだ名もある。

この事件以来、多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について(銀行など)口座振込が普及する一因となった。


[編集] 犯人像の推測
この事件の犯人については、目撃者や脅迫状の文面や遺留品から様々な犯人像が浮上した。単独犯なのか複数犯なのかも不明。


[編集] 立川グループの少年S
立川グループ(府中市に近い立川市で車両窃盗を繰り返した非行少年グループ)のリーダー格。事件当時は19歳。父親は白バイ隊員で白バイに関する知識が豊富、車の三角窓を割ってドアの鍵を開けてエンジンとスターターを直結する車の窃盗手口が同じ、地元出身で土地勘があり車やバイクの運転技術が巧み、1968年3月に発炎筒をダイナマイトと見せかけた強盗事件を起こしている仲間と親しい、親族以外のアリバイが不明確、事件前に東芝や日立の現金輸送車を襲う話をしていた、等様々な状況証拠が存在した。だが、血液型はA型で脅迫状の切手のB型と異なったこと、脅迫状の筆跡も異なったこと、多摩農協脅迫事件の脅迫状の投函日に少年鑑別所にいたことなど、単独犯では犯人ではないことを示していた。事件5日後の1968年12月15日に自宅で青酸カリで自殺している。

[編集] 府中市の運転手K
府中市に住む運転手。事件当時は25歳。住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通し、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持ち、モンタージュ写真の男と酷似していることなどから12,301人目の容疑者候補として浮上。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとした。
発生から1年後の1969年12月12日に、捜査員を取材していた毎日新聞の記者が筆跡が異なるなどの否定材料を入れた上で警察が容疑者としていると掲載し、モンタージュ写真にKの顔を合成するなどして犯人視する報道を展開。それを新聞配達前に知った警察は逃亡の恐れがあるとして、身柄拘束を視野に入れた上で運転手Kに任意同行を求め、十数時間の取調べの後に別件逮捕した[6]。新聞各社も「容疑者聴取へ」などと実名入りで書き立てたが、就職試験を受けていたアリバイが証明され翌日釈放された。報道による人権侵害の最たる例であり、この月の縮刷版・当日のマイクロフィルム紙面は現在各社共封印している。
なお、Kは逮捕や一連の報道によって職を失い、その後も真犯人の見つからない「三億円事件の容疑者」としての偏見と事件に関するコメントを求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月に自殺した[7]。

[編集] 日野市三兄弟
日野市の電気工事会社を経営する三兄弟。事件当時は上から31歳・29歳・26歳。大きなガレージ風の物置がありバイクの偽装のための塗装がしやすいこと、次男がバイクマニアの不良グループに属していたこと、看板店の営業経験があり塗装技術があること、事件前に発炎筒がつけられた車の購入していたこと、兄弟の一人が事件前にハンチングを被っていたことが怪しいとされた。しかし、車の発炎筒やハンチングが事件のものと異なること、事件の4日後にお金を借りていたことなどが判明。その後、警察は日野市三兄弟を捜査するが、事件と結びつかなかった。

[編集] 不動産会社社員
不動産会社社員。事件当時は32歳男性。事件前に金に困っていたが事件後に金回りがよくなったこと、東芝府中に勤務経験があること、姉が東芝府中に12年勤務していること、自動車の運転が巧みなこと、モンタージュ写真の男と酷似していることが怪しいとされた。しかし、事件当日に杉並区から横浜に車で行く途中で非常検問にひっかかったことからアリバイが出てきたこと、金回りの変化については不動産売買で1600万円を入手したことが明らかになったことから容疑者候補から外れていった。

[編集] 会社役員P
三億円事件から13年前の1955年に銀行員1人を仲間にしたり仲間の1人が私服刑事を装うなどして、千代田区にある銀行の現金輸送車を襲う計画を仲間3人と実行。この事件ではすぐに逮捕されたものの計画性や発想が三億円事件と類似するものであった。Pは出所後に刑務所の中で知り合った友人に「今度は1年がかりで大きなことをやる」と豪語、三億円事件発生後に土地や住宅や外車を購入して金回りがよくなったため、容疑者として浮上。しかし、金回りに関しては、不動産会社から合法的な資金提供を受けたことが判明した。

[編集] 立川グループの少年Z
立川グループ(府中市に近い立川市で車両窃盗を繰り返した非行少年グループ)のメンバー。事件当時は18歳。少年Sと同じく、車の三角窓を割ってドアの鍵を開けてエンジンとスターターを直結する車の窃盗手口が同じ、地元出身で土地勘があり車やバイクの運転技術が巧み、1968年3月に発炎筒ダイナマイトと見せかけ強盗事件を起こした仲間と親しい、といった条件があった。他にもZには事件後に乗用車を購入したり会社経営をしたりと金回りがよくなっていた。だが、血液型はAB型で脅迫状の切手のB型と異なり、筆跡も異なった。警察は公訴時効寸前の1975年に元少年Zを最後の容疑者候補とする。1975年11月に別件の恐喝罪で逮捕するが、三億円事件の公訴時効前に釈放された。

[編集] 自称三億円事件犯人
時効成立後、自称三億円事件犯人を名乗る人物が何人か登場している。

なお、当時の担当刑事によると事件の際に発炎筒が通常通り点火しなかったが、犯人は通常とは異なる手法で発炎筒を点火させていることが遺留品から判明している。またジュラルミンケースには現金・ボーナス袋のほかにある「モノ」が入っていたという。発炎筒の異なる点火手法やジュラルミンケースにある「モノ」は一般発表されておらず、関係者と犯人しか知らない。

しかし、自称三億円事件犯人は発炎筒点火の詳細やトランクケースの「モノ」を正確に答えられないことから偽者と見破られている。自称三億円事件犯人の目的として「本を売って稼ぎたい」「世間から注目されたい」「詐欺のためのハクづけ」の3種類に分類される。

最後に・・・
はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは
笑いが止まらない!
  あけおめ


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すげ~(_´Д`)ノ~~
2009-01-08 Thu 01:20 | URL | つくつん #-[ 内容変更] | top↑
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